キャバリア伝説絵 Vol.2

『黒と白の伝説』

〜付録:キャバリア伝説資料館〜

キャバリア(トイスパニエル)の歴史上の文化遺産は、”ココ掘れわんわん!されば宝がざっくざく”どころの比ではありません。巨匠の手による数多くの絵画の中や、シェークスピアの戯曲の中にも・・・それを探し当てることは、とっても楽しいですよ。みなさまも探してくださいね。

ここはちょっと趣を変えた「キャバリア伝説資料館」です。

 

アン女王の紋章
ヴィクトリア女王の紋章
それぞれ王家あるいは有力な貴族には紋章がありますが、『黒と白の伝説』では、特にトライカラー(あるいは黒と白のトイスパニエル)にゆかりの深い2つの王家の紋章を、ページの壁紙の素材として拝借しました。

 

これがトライカラーのトイスパニエルとしての世界最古の記事です(1671.9.15)ロンドン・ガゼッタ紙

付録の更に付録

 

『黒と白の伝説』全編総集編

 

黒と白のレジェンド


絵巻の全てのイラストは、重松菊乃の描き下ろし

「この小さな黒と白のトイスパニエル物語は、私の愛するトライカラーのキャバリア達に捧げます」坂井由紀

2000.8.13(キャバリア工芸村夏の伝説祭参加作品


 今私たちの”キャバリア・キング・チャールズ・スパニエル”という名の犬種には、公認されている毛色は全部で4種類-----ブラック・アンド・タン、ルビー、ブレナム、トライカラーがありますよね。では昔はどうだったのでしょう?万物は全て、自然もそこで生きる生き物も、長い年月が刻む歴史の営みの中で緩やかに、また時として急激にその姿を変容させてきたように、キャバリアもその起源から現在までどのような変化変容を遂げ、今の私たちにこんなに可愛い姿を見せてくれているのでしょう?

 彼らの美しい魂の故郷はどこ?そしてどこでどんな生活をしてきたの?興味は尽きません。古い時代のことは遺された断片的な手がかりから推測するしかありませんが、それもまた楽しいことです。ただ彼らのご先祖は世界史の表舞台で語られる西洋諸国の王族とのロイヤル・コネクションが深かったため、巨匠の描いた王族の家族の肖像画やタペストリーなどの美術品の中に、あるいは王様専属の医師や日記作家の記録の中に、その可愛いい足跡をペタペタと残してくれています。彼らのご先祖達が最も華やかなりし15世紀〜18世紀辺りの数世紀に存在した様々なタイプの小型スパニエル種を総じてトイ・スパニエルと呼んでいますが、毛色も今日の血統登録にはないブラック・アンド・ホワイト(黒と白)のトイスパニエルなどもいました。チャールズ王の時代は、レッド・アンド・ホワイト(赤と白のブレナム)、黒と白と茶のトライカラー、そして今日はない黒と白の3種の毛色だけであったと言われています。

 ブレナムの毛色のキャバリアは、ブレナムという名の由来にもなった大変有名な、マルボロー公が大勝利したブレナムの戦いとその知らせを待つサラ夫人との間に生まれた伝説をはじめ、いくつもの素晴らしい美術品や実話や伝説が今日まで伝承されています。そこで今回2000年のミレニアムの「キャバリア伝説祭」には、私の大好きな毛色でもある黒と白と茶のトライカラー(あるいは今は存在しない黒と白のトイスパニエルに思いを馳せて)の伝承をいくつか拾い集めてみました。さあ、うそかまことか、マコトかウソか、当たるも八卦、当たらぬも八卦、キャバリア好きなら見なきゃ損々、寄ってらっしゃい見てらっしゃい!という訳で、今日まで残されてきた歴史的遺産の中から無理矢理それらしき断片を見つけだし、エピソードをつなぎ合わせました。そしてここに「黒と白のレジェンド」という物語にしましたので、よろしければ愛犬を膝にダッコしながらおつきあいを。しばしご一緒に昔々のご先祖犬の在りし日を彷彿と夢みましょう・・・・

 明白にトライカラーのトイスパニエルのことだと分かる、最初の確実な記録文は、1667年10月のロンドン・ガゼッタ紙上でのある記事です。それにはこう書かれています。  「10月25日、ウェストミンスターの豆畑において、生後6ヶ月の若い、頭部には黒、眉には赤、背には黒い斑を持つ、白いスパニエルが行方不明。この犬は王子の所有犬である。もしこの犬を、ホワイトホールのストーン・ギャラリー内の、たいへん嘆き悲しんでおられる王子の居室まで連れ来る者には、王子より多大な報償が賜われるであろう。」これはちょうど、チャールズ二世がポルトガル王家出身のブラガンザのキャサリンと婚姻をあげ王位に就いた時期のことでした。キャサリン王妃ご自身が、婚姻の持参金の1つとして、はるばるポルトガルから連れてきた犬だったのでしょう。

 私の推測ですが、この少し早い時期に、英国に日本のスパニエルが5匹、導入されてきていました。1613年、キャプテン・セーラスは、日本の朝廷からの献上品として、この犬達を日本から英国に持ち帰ってきたのです。その犬達の容貌を記載したものを見ると、非常にジャパニーズ・スパニエル(狆)に類似していることが判ります。キャサリン王妃は、ポルトガル人としてまた英国王妃としての両方の立場から日本との関係をもつことができたので、その後も何匹かの日本のスパニエルを手に入れることができたのです。当時の日本の朝廷はじめ上流階級で珍重され、海外の王室への献上品ともなるような日本のスパニエルといえば当然”狆”だと考えられますが、狆の毛色と言えば、白に黒の斑が入った毛色が主流ですよね(白と赤の斑の毛色もある)。ヨーロッパのいくつかの国の王室で飼われていたトイスパニエルに、白と黒の日本からの小型スパニエル・狆の血が導入され、それまでの西洋諸国のトイスパニエル(ホール・ブラックのトイスパニエルもいたものと推測される)とも交雑され、白と黒のトイスパニエルタイプ、あるいは白と黒と茶のトイスパニエルタイプに影響があったとの憶測は飛躍しすぎでしょうか?

 また白と黒のトイスパニエルと言えば、この痛ましい悲話を書かなければなりません。メアリー女王が断頭台で散った裏に遺された、聞くも涙、語るも涙のある白と黒のトイスパニエルのお話です。  後に女王の必要経費である「国王手元金」の帳簿の中に、以下のような記載が見つかりました。 「Gevene to Sir Brian Tuke,召使い、2匹の小さな美しい猟犬を、私の女主人に運んでくる、支払猶予5/-’」 この帳簿の記載の正確な意味が解き証されました。当時トイスパニエルの毛色は、茶と白の毛色、そして黒と白の毛色が主でした。スコットランドのメアリー女王は白と黒と茶のトライカラーのトイスパニエルも飼っていたという記録も残っています。1563年、メアリー女王が処刑されたとき、小さなブラック・アンド・ホワイト(黒と白)の犬が女王の着衣の中から見つかりました。この犬はキャバリアだったであろうというのが概説です。Fotheringay から宮廷へ向かう、Burghley卿が手に持った署名入りの処刑執行令の中に、こういう記録があります:女王の下着を脱がせた死刑執行人の一人が、女王の衣服の中に小さな犬を認めた。その犬は女王の衣服の下に絡まっていて、力づくでも外へ引っ張り出せなっかた。その後も女王の亡骸から離れませんでした。でも衣服から出てきて女王の頭と肩の間に横たわったので、女王の血で血まみれになり、執行人は血の付いたものは焼却したり、あるいはきれいに洗い流さなくてはいけなかったため、犬も無理に引き離して運び出して洗いました」 たぶんこの小さな犬は、女王がフランスからスコットランドに戻ったとき連れてきた犬かあるいはその犬の血縁犬と思われます。

 同じメアリー女王のことで、このような記事もあります。スコットランドのメアリー女王が1587年2月8日に断頭台で処刑された時、女王は金が縫いつけられた黒いベルベットの王衣とその下に深紅色のベルベットのペチコートを身につけていました。スコットランドのメアリー女王としての在位中の生活記録の中に、”女王の寵愛する小さなラップドッグ(小型ブラック・アンド・ホワイト・スパニエル)が女王の親愛なる者として殉じました。この小さな黒と白のスパニエルは、誰にも気づかれないように女王の衣服の中にくるまっていて、女王の亡骸に寄り添って横たわり、なんとか女王を生き返らせようするかのように、そっとキスをしたり身を寄せては舐め続け、無理矢理引き離されるまで女王の体から離れようとしませんでした。彼は2日の後に、おそらくは深い悲嘆と寂しさゆえに、女王の後を追うように亡くなりました。”  その後イギリスはチューダー王家からスチュワード王家へと時代が移り、スチュワード王家のチャールズ一世、チャールズ二世は犬種名のタイトルにもなった王の名前であり、トイスパニエルのロイヤル・コネクションが最も華やかなりし時代でした。スチュワード王家が没した後、トイスパニエルはすっかり王家での人気を失くしてしまいました。ですが、根強くトイスパニエルを寵愛していった有力な名家の貴族もいました。レッド&ホワイトのトイスパニエルは、まだ身分の高い人々に愛好されていました。また当時英国でたいへん支配力のあったオレンジ公は、主にブラック&ホワイトのトイスパニエルを愛好し、そこで繁殖も続けられていったと推測できます。そして時代はさらにヴィクトリア朝へと続いていきます。

 かの有名なヴィクトリア女王で、ジ〜〜〜ンと胸が熱くなるようなトライカラーのトイスパニエル物語があります。  ヴィクトリア女王が熱烈な犬の愛好家であったことは伝説に残る有名な話です。ヴィクトリア女王として18歳のときに在位してから、その治世は1837年〜1901年と63年もの長期に渡り、世界制覇をなした大英帝国の繁栄はこの女王の名とともに今の私たちにもよく知られているところです。またヴィクトリア女王と夫君のアルバート公との家庭生活も、極めて円満で模範的であったそうです。ランシアという画家が描いた”ウィンザー城のヴィクトリア女王とアルバート公”という絵がありますが、画面右寄りに二人の姿と左端に幼い娘と犬がいて、穏やかで平和な家庭風景を彷彿とさせるものです。このように、Gourlay Steel, Charles Edwin Landseer, Maud Earlなど多くの画家は女王の信義の篤いペット達を描きましたが、その中で最も有名な画家はやはりEdwin Landseer(1802-73)です。このLandseerが描いた、若い日のヴィクトリア女王がこよなく愛したトライカラーのトイスパニル、ダッシュの頭部の肖像画は、いつでもも広く習作として描かれる犬の絵のひとつです。また女王は宮廷内にいる側近の貴婦人達にも、レディのたしなみである刺繍の手習いに、ダッシュを題材にしてたくさん刺繍させました。今日までこのダッシュの刺繍のいくつかが残されています。

  このランシャーの何枚かの絵画にも描かれたダッシュは、可愛い小さなトライカラーのスパニエルでした。この犬は1833年の2月、まだ即位をする前の王女であったときに、父君である王から、王女の13歳の誕生日プレゼントとして贈られた犬でした。ヴィクトリア女王が1838年に戴冠してからしばらく後の1840年に亡くなり、アデレイド・ロッジの庭園で火葬にふされました。彼の墓碑に刻まれた墓碑銘は、読む者の心を深く打ち、しみじみとさせます。

 「女王陛下に愛されしスパニエルのダッシュ、ヴィクトリア女王が直属の騎士に建立させし祈念碑の、ここに眠る。12月20日死亡、享年9歳。

 彼の篤き愛情は、わがままさを持たず。

 彼の遊び戯れる姿は、邪心を持たず。  

彼の忠誠は、偽りを持たず。  

この碑を読みし汝、もしそなたが生きて敬愛されし者ならば、死しても深く悼まれるであろう、たとえばこのダッシュのように。」

 さてさて、この辺りでペンを置きます・・・・・  どのような境遇・天命であれ、つまりは今生きている私たちのキャバリアを心ゆくまで慈しみましょう。いつか去りし後も彼らのレジェンドは永遠でありますように。

 追伸:いつかまたお会いする機会がありましたら、黒と茶のレジェンド、赤のレジェンドなどの物語も、語ってみたいです。

 


絵巻せいさく:重松 菊乃

絵巻原作協力:坂井 由紀

2000.8.13